2011/02/13

これからは。。。2月壁紙カレンダー更新。

どーも。PeNです。。。
ずっと、mixiの日記とTwitterでしか更新せず、
BLOGが更新できてなかったです。。。

BLOGはまた別物でって思っていたんですが、
どうもそうやる余裕もないので、
これからは、mixi日記のを、
部分部分を調整しつつ、公開していこうと思います。。。

このウェブサイトも更新する場所が、
カレンダーだけですからね。。。



ということなんですが、
カレンダー告知な、日記です。。。


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どーも。
さて、日記です。。。

もう半月が過ぎようとしてますが、
2月の壁紙カレンダーです。

フォト
(ワイド版)

フォト
(携帯版)

http://www.geocities.jp/penizm3/


まぁ、2月なので、バレンタインをイメージしたものです。
今回も手抜きな感じですね。。。
どこかで見たことあるようなものばかり。。。

うさぎは、年賀状用に作ったものですし、
左側のラインに水玉は、以前6月カレンダーで使ったイメージですしね。。。
ハートのは初ですけど。。。

ちなみに、

「C'est le temps que tu as perdu pour ta rose qui fait ta rose si importante.」

は、「星の王子さま」からの引用。

一応、日本での著作権は2005年に満了しているそうなので、
使ってもいいかなっと。
毎回、気にしてないんですけどね。。。
ちなみに、日本は著作者の死後50年ですが、
EUは死後70年で、この場合、2014年まで、
フランスでは、本件は死後100年と定められているらしいので、2044年。

まぁ、どうでもいい話ですけど。

で、意味は、内藤濯の翻訳に基づくと

「あんたが、あんたのバラの花をたいせつに思っているのはね、そのバラの花のために、ひまつぶししたからだよ」

です。
「ひまつぶし」って?って感じですよね。。。
翻訳がおかしいんですよね。。。

他の方、市川明日香さんという方だと次のように訳してます。

「君が君のバラの花のために費やした時間があるからそのバラがそんなに大切に思えるんだ。」

まぁ、原文はいろんな意図が隠されているらしいので、
これもあくまでも一例にすぎないようですが。。。

まぁ、なんとなく意味をくみとってください。


ぼくとしては、

「なんでもない毎日を一緒に過ごしたから、あなたとバラがすごく大切なものなんだ。」

というような意味かなぁとか思ってます。

バレンタインも、そういうことを意識して、
感謝の気持ちでもいいのかなっと最近思います。
なんでもない毎日をかみしめるきっかけのような。。。

年齢的なものもありますが、
バレンタイン=告白っていうのももはやないですからね。。。

女性から男性だけの感謝の気持ちって、一方的で、
むしろ男性からほしいと思うかもしれませんが、
さっきの言葉と同じですが、どちらがあげたとかは、大事ではなく、
その瞬間を一緒にすごしていることが大事だと思います。

そういうなんでもないようなことを、
かわいくきれいな甘いチョコを食べて幸せな気分にいられるだけで、
きっと幸せなことなんだと思います。。。

いつもとかわらない、なんでもない毎日に、
甘いチョコがやさしく幸せな気分を演出してくれる。
チョコを食べると、なんか、笑顔になれる気がしますからね。
スイーツってステキだなって思います。人を笑顔にさせられるんですから。。。


、、、と、相手もいないひとりぼっちなぼくは思います。。。

まぁ、そんな気分は、今回のイラストには反映できてませんけどね。(笑)
気持ちです。しかも後付けの。(笑)

よければ、どーぞ。
壁紙とともに、なんでもない毎日をともにすごす誰かへのチョコのプレゼントも添えて。(笑)



まぁ、そうは言っても、
いいかげん、ひとりぼっちも辛いですけどね。。。
まぁ、こんなぼくなんで、相手もいないですけどね。
たぶん、ぼくの相手なんてしてたら、心身ともに疲れ果てちゃいますからね。。

人と関わるのが苦手で、話すのも苦手。
友達も少なく、ほとんど関わらない。

がんばれっと言われても、がんばれない。どうすればいいのかもわからない。
人と関わろうとすれば、苦しいし、辛い。
そういうものなんだから我慢しろ、適応しろと言われても、耐えられないのだから仕方ない。
でも、人と関わりたいし、関わってほしいと思ってしまう、わがまま。
ダメな人間ですね。。。

もはや、人を好きになることさえも、恐れを感じる。
迷惑だろう、嫌われるだろう、嫌だろう、ダメにさせてしまうだろう、などなど。
なんだか、好きという感情さえも、形を失って、
なんなのか、わからない状況ですね。。。
誰を好きなのか、誰を好きだったのか、誰が好きなのか、
ふわふわして、あちこちにふらふらしている。

なんか、こんな感情さえ、持ってなければいいのになって思う。
どうせ、なんなのかわからないし、結局、捨てなきゃいけないことなんだから。

人を好きになっても、結局、血の気が引くようなイヤな気分しか残らないですし。。。
周りの人みたいに、人を好きになって好かれたりという定番な感じがないですし、
それが理解できない。

好きな人なんていないし、または、好きな人なんて全員でしかない。
愛する人なんていないし、または、愛する人なんて全員でしかない。

よくわからないんですよね。。。
正直なところ、かわいくて、ぼくの相手をしてくれる人なら、誰でもいいですし。。
なんか、そんな程度の感情だったら、持っている意味もないと思うので、
イヤな感じです。。。

なんで、人間、動物に生まれてしまったんだと思う。
そうでなければ、こんな、どうでもいいことに悩まなくて苦しめられなくてすんだのにね。。。


星の王子さまが言う言葉は、
どれも、まともな人間たちにとって意味あることで、
まともじゃない、ぼくには、何の意味もない。

「かんじんなことは、目に見えないんだよ。」

そんなこと言われても、そんなことは知っているし、
目に見えないから、苦しいんだよ。辛いんだよ。苦しめるんだよ。
それに、かんじんなことが目に見えずに直接感じてしまうから、
ぼくを苦しめて、傷つけて、虚しさを与えてくる。

ぼくの苦しさなんて、誰もわからない。
だって、目に見えないんだから。


君のバラがたいせつだと思う。
えぇ、バラがあればね。。。

育てるバラもなければ、
ぼくの星は砂漠のまま。
井戸も隠してもない。ただの砂漠。

砂漠に咲いてくれるバラを待っても、
いつまで経っても、そんなの来やしない。
だからと言って、バラを探して、ほしいバラを見つけても、
ぼくの砂漠に植えれば枯れてしまうのは明白だ。
たとえ、水をあげ、傘をたて、虫がつかないようにして枯れずにいても、
きっとバラは砂漠で一輪で咲いても楽しくもなく、濁った花を咲かせるだけ。
きっとぼくもそんなバラには魅力は感じなくなると思う。
砂漠に一人や二人でいる寂しさや辛さはぼくだって知っている。
だから、そんな思いを好きなバラにしてほしくはない。
バラは一番環境のいいところで、いつもキレイに咲いていてほしい。
ぼくが訪れたときにキレイに咲いててくれればうれしい。
つんだりしないから。ぼくをさけないでほしい。
ぼくは砂漠で一人で星を見るんだ。いろんな星でキレイに咲くバラがあるから。
それが見れれば、ぼくは幸せだと思う。
自分の砂漠にもバラがほしいと思ってしまい、
砂漠の砂を掴んで、手を広げ風に飛ばされる砂を見送り、砂が星空へと消えていく。

きっと、ぼくの砂漠に何かの拍子でバラがさけば、
ぼくは大事に育てると思う。すごく大事に。大事に。
そして、しおれて枯れてしまうと思う。

だから、ぼくは星空を見る。
遠く、手の届かない、どこかの星に咲くバラたちに想いをよせながら。

きっと、いずれ夜は明け、星はなくなる。
そして、日が昇りぼくは太陽に焼かれ砂漠の中に埋もれる。
最期に太陽に咲くバラを見つけて笑いながら。。


そんなことに想いを寄せながら、
寒い砂漠の中で体育座りして星空を見てます。
いっそ、寒さで死んじゃえばいいのにって思いながら。。。

そんな、毎日と呼ばれる星空の夜を淡々とすごしてます。
星がキレイだなって思いながら、ただ、淡々と。

星空がキレイじゃなかったら、きっとぼくは苦しくなかったんだろう。
星空がなければ、きっとぼくは自由だったんだろう。
星が空から、ぼくに向けて向かっている針のよう。ぼくが飛び立つのを妨げる。

でも、この星空がなければ、ぼくはきっと寂しくて辛いんだろう。
なんだか、哀しいばかり。
ぼくを苦しめるものが、ぼくに救いを与えてくれるものでもある。
そのことこそが、一番ぼくを苦しめることなのかもしれない。


まぁ。そんな感じです。
最近、ぼくが生きている意味を感じない。