2011/09/25

つらつらと、

なんとなく、ひさしぶりに日記をつらつらと書きます。
吐き出してないと、頭がおかしくなりそうで、
文字に書いても、そんなもの解決しそうにないけど、
とりあえず、なんでもやってみようと思いまして。。。
特に誰かに読んでほしいというわけでもなく、
特に誰かに助けてほしいというわけでもないですが、
ただ、自分だけの中で書いているだけでは、こころが解放されないと思い、
このようなかたちで書きます。


twitterもFacebookもありますが、
mixiがいちばん身近な人たちばかり、というか、
非公開にでき、会社の人が一人もいないってだけですし、
みんな最近やっていないので、何書いても大丈夫かなって思って、
唯一、このソーシャルネットワークで、ギリギリ安心できるところかと思い、
日記を書き始めましたが、文字制限があって全部載らなかったので、
自分のウェブサイトなら、逆に不特定多数には見られるものの、ほとんど見られないので、
ある意味安心なのかなとも思ったりし始めてたので、
こちらにも載せます。まぁ読む価値は全くない自己満足な文章ですけど。

さて、なんでこういう感じで書き始めているのか、よくわかってはないですが、
なんか、最近、ずっと気持ちが落ち込み続けてます。
あまりに、自分に自信がなく、あまりにというよりも、
もはや全くなにも自信がない状態で、自分の価値が見いだせず、
ただただ、生きているのがよくわからない状態になっています。
死にたくないけど死んでしまいたいと言葉に出したくなる。
誰も殺したくないけど死んでしまえと言いたくなる。
という感じで、なんだから鬱病なのかなっとか思ってます。
あんまり単純に鬱病だなんて思いたくないですが、
もしこれが鬱病で薬で治るなら治してほしいって思う。
あまりに自分が虚しくて哀しくて辛くて自分でどうしようもない気がするので。
いっつもそんな沈んでいるわけでもないですけどね。
それなりに普通だなって思ってはいます。いつもは。
ただ、こう休日になったり夜になったり朝になったりすると、
非常にいやな気分になる。なにもしたくないし、自分が虚しくて仕方ない。
なんで、こんな生き方しているんだろうとか、
なんで、ぼくはこんな人間なんだろうかとか。
鬱病だった人が以前、友達の友達ぐらいの距離にいて、
あんまりなんでもかんでも鬱だとか簡単に言うのはよそうと思って、
ぼくも鬱だとは思いたくないし、言葉には出したくなかったけど、
今の状況がどうにかなるんだったら、鬱病だと言って、
どうにかしてほしい。
自分でどうにかできない。
自分でどうにかしなきゃいけないとはわかっていても、
自分でどうすればいいのかがわからず、
それができない自分が余計に嫌になって、
もう自分のいる価値がただただゼロに限りなく近づいていく。
そんな状況です。
でもなかなか診察に行く気持ちにはなかなかなれない。
鬱病になったら、治療のために休職しないといけないですし、
実家に暮らしているので、両親に面倒を見てもらわないといけなくなる。
まず、休職に関して。別にそんな今の仕事が好きではないです。
責任感も全くといってないです。確実に。
自分が抜けてしまったら、、とかそんなことは微塵も感じてないです。
むしろ、自分がいなくても問題ないし、
逆に、いなくて別の人が入った方がいいだろうと思ってます。
ただ、嫌なのが、また仕事で精神がやられたやつが出たとか、
大した仕事してないのに弱いやつだなとか、
そういうふうに思われるのが、すごくいやでしかたない。
また、後輩とか、とくに好きな後輩の子がいたんですが、
(既にふられてますが、)その子に、どんな気持ちでも、
なにかしら思われるのが、ほんとに嫌で仕方ない。
その子はすごいがんばってやっているのに、
その先輩であるぼくが精神をやれてしまっている、
告白してきたバカな先輩がダウンしている、とかなんでもいいから、
なにかしらぼくが認識されるのが嫌でしかたない。
ダメなバカで頼りない先輩のままの方がまだましだと思う。
別にぼくがいま、すごく精神的にやられているのは、
仕事がどうとかとは全く関係ない。
少なからず関わっているのは否定しないですが、
でも、それがメインではない。
だから、仕事を結びつけられたくない。
仕事なんて、ぼくを鬱にさせられるレベルのものじゃない。
そんな、うちの会社の業務レベルで、ぼくは鬱になんか絶対にならない。
でも、仕事場の人たちは、社員でダウンをした人がいたら、
必ず仕事と結びつける。
ぼく自身もそうだった。
これまで、うちの会社で、ダウンした人は何人もいる。
みんな、仕事が忙しかったからという理由にさせられてた。
ぼくもそう思っている。
だから、きっとぼくが休職したら、みんなそう思うだろう。
だから、鬱病なんかに診断されたくない。
休職することが、むしろ逆にぼくの心に負担をかけてくる。
あと、休職して復帰したら、確実にうちの会社は、
内職の別の部署に異動させる。
それこそ、いらぬ親切だと思う。
ほんと最悪で仕方ない。
もしぼくがそういうことをされたら、確実に会社を辞めます。
そんな会社にいたって何も得られないし、いたくもない。
ぼくを鬱にさせたものが会社的なもので言うのであれば、
それは社会でしかない。社会人になってしまったことが失敗なんだと思う。
うちの会社レベルがぼくにどうとか出来るレベルじゃない。
ぼくはもともと社会人には向いてなかった。ただそれだけだと思う。
こういう人間は、教職とかに逃げるものらしい。
たしかに、そういう環境であれば、それなりの生活ができるのかもしれない。
でも、ぼくは教職免許もとってないし、そういうのはできないし、
こども好きでもないし、そんなことしたくもない。
むしろ、ストーカーとかセクハラとか、そういうのをして捕まるようなタイプだと自覚している。
基本的に変態ですから。
こどもは好きじゃない。ぼくと仲良くしてくれるこどもは好きだけど。
結局、他の大人と同じ、ただの人間なんだから、
仲良くしてくれる人は好きだし、そうじゃない人はそうじゃない。
結局、変わらない世界だから、大して変わらないんじゃないかと思う。
そもそも、変にランクを気にする人間だから、
そういうところは、下のランクだと思っているから、
そういうところには行くことはないんだと思う。
たとえ行ったとしても、自分は下のランクにいるんだと思い、
自分がどんどん嫌になっていくのにかわりはないと思う。
いつまでもいつまでも、ぼくは上のランクにはいけないのに、
上のランクばかりに気にしている。
そもそもランクなんてもの、自分で勝手に決めたものなんで、
ランクなんてもの、ありもしないのに。
でも、そういうものがないと、自分の価値が見いだせない。
自分がどのランクにいるかということで自分のポジションを見つけられない。
人のせいにするなら、そういう教育をずっと小学生のときからされていたからと言っておこうか。
常に点数で順位をつけて、ある程度以下は、ダメなやつ、ある程度以上は、優秀なやつ。
そういう世界でしか生きれない。そういう世界だけなら生きれるのか。そんなこともないが。
結局、落ちこぼれだから、生きれない側でしかない。常に。
落ちこぼれなんですよ。ほんとに。
なんかときどきいい成績を出すから、そこそこのレベルにいるけど、
常に、ぼくは落ちこぼれでしかない。
いつもみんなに置いてかれている。
よくわからないけど、とりあえずその場にいるためにごまかしてついていっているふりをする。
でもぼくは全然追いつけてない。なにも成長してない。ぼくだけ。ぼくだけ。
それがいつまでも続いている。小さかった頃から、今もなお。
ぼくだけが成長しない。ぼくだけが別の世界。
みんな生きている。ぼくは生きているのかわからない。
みんながわからない、ぼくがわからない。
どうしたらいいのかわからない。なにもわからない。ぼくはただぼくってだけじゃいけないのか。
みんな、死んじゃえよ。もう。みんな、いなくなったら、こんなに苦しまない。
みんなと比較できちゃうから、苦しい。
みんな、いなくなればいいなんて、うまくいくはずがないのはわかっている。
じゃぁ、ぼくがいなくなればいい。ぼくが死んだらいい。
でも、ぼくも死にたくない。死んだらなんの意味もない。
だから死ねない。だからみんないなくならない。だからなにもかわらない。
どうしようもない。ただ生きているだけ。ただ生きているだけなのに、なんでこんなに辛いのか。
生きることが不安定だったらよかったのに。
毎日生きていることに喜びを感じられるような不幸な立場だったらいいのにって思う。
そんなこと言ったら、そういう人たちから本気で怒られて殴られると思うけど。
でも、そういっても殴ってくれる人もいないこと知っているし、
殴られてもぼくはなんとも思わないのも知っている。
全部わかっている。だいたいわかっている。なんとなくわかっている。
だからなにも感じない。なにも驚かない。普通に理解できるから。
あたまがいいと言ったらそれだけでしょうけど、でも実際そうだと思う。
自分では気づかなくても、人に言われたら、それは理解できて、それが正しいと思うなら普通に受け入れられる。
それはぼくの自我がないというわけではなくて、自分でそう思ったからでしかない。
人によって自分が作られているわけでもない。
そういって自分を守ろうとしているのには否定はしないが、
それでも、ぼくがいまぼくとしているのだから、ここにぼくがいることにはかわりない。
たとえ、これまでと違う自分でも、これがぼくでしかない。
だれがまわりにいようが、これがぼくで、
ぼくが最も大事にしている、最も愛している人間でしかない。
ぼくがいなきゃ、この世界だってない。
ぼくが見ているのが世界なのだから、見ている主体のぼくがいなければこの世界は成立しない。
ぼくが死ねば、この世界は終わる。
他の人が見ている世界は続くだろうけど、ぼくが見ている世界は確実に終わる。
ぼくが死ねば、他の人の世界のぼくも死ぬだろう。
でも、それは一時的なものでしかなく、ぼくの存在は次第に消えてなくなるだろう。
だから、ぼくは死ねない。ぼくがいなくなれば、ぼくがいなくなるから。
もうただ言い続けることでしかぼくが存在できないと思ってしまう。
いつも同じことばかり、自分に話しかけて、自分を肯定化しようとする。
それでしか、自分を保って行けないんだと思う。
だれもぼくを支えてくれない。だれもぼくを助けてくれない。だれもぼくを愛してくれない。
人にたよるからいけないんだと言う。ぼくもそう思う。
じゃぁ、どうすればいいんだよ。頼れる人がいないのに、どう生きろというのか。
踏ん張れる足下がないと、壁がないと、力なんていれられない。
ただただ、落ちて行くだけ。つかまる場所もないから、ただただ落ちて行く。
人に頼らず生きろというのは、頼れる人がいる人だけの言葉だと思う。
たぶんそういうと、頼れる人はいるけど、それは相互で片方からではない、
お互い様な関係だと胸をはっていい、こちらを罵倒するだろう。
しかし、それがいるということ自体がそちらの有利なポイントだということに気づかない。
ゼロであるぼくがイチであるそちらに敵うはずがない。
ひとをバカにしないでほしい。ぼくだって、だいたいのことはわかっている。
もう28年間も人間として生きて、人間を見て生きてきているのだから。
もう大人な歳だ。こどもがいておかしくなく、結婚してていい歳だ。
だからなんだ。年齢で人を判断するな。
なんで年齢で人を判断するんだ。見た目で判断するんだ。性別で判断するんだ。
大学で判断するんだ。能力で判断するんだ。話し方で判断するんだ。
趣味で判断するんだ。友達で判断するんだ。仕事で判断するんだ。
人を判断するな。人を判断するな。ぼくを判断するな。誰も判断するな。
判断させるな。ぼくに判断させるな。
もういやでしかたない。
なんで、他人がいて、ぼくがいるのか。
ぼくを愛してくれ。ぼくと話してくれ。ぼくを甘やかしてくれ。
どうしたらいいのかなんてわからない。もうなんもわからない。
ぼくがどう生きればいいのか、どうでもいいことじゃないのか。
生きることってそんなに大事なことなのか。
死んだらいけないのか。死んだら、ほんとになにもなくなるのか。
ぼくが生きれないのか。生きてどうするんだ。
なにも楽しくない。誰もいてくれない。
人を愛せない。だれか愛したい。だれか殺したい。
ぼくが体をもっていなければきっと自由になれるのか。
自由なんてないし、自由なんて求めてない。
自由ってなんだよ。笑わせるな。
自由ほどコワいものはない。なにをすればいいのかわからない。
どうあればいいのかわからない。
自分で決めていかなきゃいけない。自分で生きなきゃいけない。
他人がぼくを生かしてくれればいい。
そうすれば、ぼくはただ生きて行ける。
ぼくはもうそれでいい。それで生きている実感がわけるなら。
居場所がない。
生きている場所がない。
生きている時間がない。
こんなにも長い時間が過ぎているのに、
どこにもぼくが生きている時間がない。
これからもどこにぼくが生きている時間があるんだろうか。
どうしたらいいのかがわからない。わからない。わからない。
もうなにもわからない。どうしたらいいのかわからない。
まぁ、そんなことを思う。どんどん深い不快感情的な方に流れて行ってしまいましたが。。
で、なんでしょう。なにを書きたかったか忘れましたが、
とりあえず、いったん気分をかえつつ書き続けましょう。。。
そぅ、なんで自分がほんとに鬱病なんじゃないかと思ったのは、
つい最近、大学の研究室のときに一緒だった人たちと飲んだんですが、
あんまり楽しくなかったんですよね。。。
会社の人たちとかと飲んでも楽しくないって思うのは理解できるんですが、
大学の友達と飲んでも楽しくないって危ないって思いました。
ものすごく仲の良い人たちというわけでもなかったですが、
むしろ、そういうものすごく仲の良い人なんていないと思いますが、
以前、集まったときは楽しかった。
その前に、別メンバーが多かったときの人たちと花火を見に行ったりしたときも、
なんだか、いまいち楽しめてなかった。
なんか、自分が当時の自分と違うことを感じてふわふわしてて、
わけがわからなかった。
なんか、自分はこういう人間じゃなかったのにってすごく思った。
あのころより自分がただ単にダメな人間になっていると。。
そう、なにが原因かというと、
仕事とかじゃなくて、人間関係と自分自身だと思います。
誰か特定の人にどうとか、特定のグループでどうとかでなく、
そもそも人間関係が薄いことがすごくストレスになってます。
友達はいますが、そんなに関わってない。
関わろうと思っても関われない。楽しめない。話せない。
自分のまわりには誰もいないし、誰もこないと思う。
あとは、恋人とかもそうです。
もう28歳なのに、ずっといない。まともにいない。
みんな次から次へと恋人をつくったり、結婚したり、
わけがわからない。
ぼくは人を好きになっても、みんなにふられる。
いろいろな人に興味をもっても、みんなにふられる。
だれからも好かれない。好かれても関わったら嫌われる。
自分は何の魅力もない人間なんだと思う。
ひとりで楽しく以前はしていたけど、
最近、あまりに自分がひとりぼっちだと気づいて、
ひとりが楽しめなくなっている。
出会いがないから、出会いを求めないからと周りに言われるけど、
じゃぁ、合コンしたから、出会いがあるかと言われても、
人と話すのが苦手で、その場で会ったら、その場で終わりでしかない。
どうにか続けろと言っても、その場であって、その後に続ける術をしらない。
それに、どうしても、恋人がほしいと思って、そういうのに参加するから、
好みの人がいなければ、それ以上かかわろうとも思えない。
別に、話が得意じゃないし、友達の作り方もよくわからないから、
その先に続けるような、そんな器用なことなんてできやしない。
複数人のなかで会話をすることができないんだから、どうしろというんだろうか。
正直、脳の発達が良くないのか、
人の言葉を聞き取れないことが多い。
特に複数人が同時に会話しているような、うるさい場所だと、
まったく人が発している言葉を認識できない。
一対一でも常に全ての言葉を認識しているわけでもなく、
聞き取れないことがよくある。
でも聞き取れないから聞き直してもまたわからないし、
3回以上聞き直しても理解できる保証もないから、
聞き直さずになんとなく笑ってごまかすことしかできない。
だから、人と話したくない。特に複数人いる場合は。
一対一であれば、静かなところではなせば聞こえるからいいけど。
うるさくても近くで話せばどうにかなるし、
聞き直しても、時間がなくなることもないから、まだ気持ちに安心感がある。
どうこう言われようと、ぼくは耳が悪い。
検査で結果が出た訳ではないけど、確実に悪い。
以前、テレビで雑音の中で人は言葉を認識できる能力があるとやっていたが、
ぼくはまったくそれが出来なかった。まったく。
スタジオのタレントはみんな、すごいすごいと言ってやっていたが、
ぼくはまったく何も聞き取れなかった。
それを見て、ぼくが耳の悪さはその能力の欠如なんだとわかった。
耳のせいにしてますけど、
ただコミュニケーション能力が低いのが原因だとも思う。
これまでちゃんと人と関わっていなかったからか。
ぼくはぼくなりに人と関わっていたつもりだったけど。
でも、もっと多くの人と関わっていたら、少しは違かっただろうと思う。
まぁ、ぼくがもっと多くの人と関われていたかと思うと、
絶対に関われていなかったと思いますけど。
という感じで、なにを言いたいのかわからなくなってますけど、
とりあえず、仕事がきついとかではなく、
人間関係や自分自身のダメさで、こんなにも心が沈んで、
鬱病な雰囲気を出しつつあるってことです。
あぁ、自分自身のダメさに触れてなかったですね。。。
まぁどうでもいい。自分自身のダメさなんて、
さっきからつらつらと書いている中でちょこちょこあったからいいでしょう。
もう、どうでもいい。
こうやってどうでもいい日々が重なっていく。
どんどん上書きされて、そこにとどまる。
なにも変わらない。なにも変わらない自分。
生きていても仕方ないんじゃないかと思う。
就職まではレールが一般的にひかれていたから、
とりあえず、次のステージではどうにかなるって思って、
レールがあるのかもよくわからず、とりあえず年をすぎていったけど、
もうこの後なんて、よくわからない。
これまで変わらなかったんだから、変わることもない。
ただ、自分では変わってないと思っていたけど、
変わっているんだなっていうのも思う。
いい方向でなく、わるい方向だけど。
すごく自分がどんどんダメな方向に変わって行っているのがわかる。
こどものころはもっと素直で真面目で少し変わってるかわいいこどもだった。
でもいまは、バカで頑固で変態で気持ち悪いダメな人間でしかない。
誰ともまともに関われないし、まともに自分を生きられもしない。
これからも変わらないと思う。
そう思うと、これからも生きる必要性がわからない。
別に変わらないなら、生きていても仕方ない。
自分がどうなりたいかとか、夢とか希望とか、そんなもの忘れてしまった。
今から作ればいいのかもしれない。
でも、今のぼくじゃ作れない。
何も自信がないから、ふんばれる地面もないから、ジャンプなんてできないから、
空にむかって手を伸ばすこともできない。
がんばれない。
がんばれない。
がんばれないだ。
ほんとに。一生懸命になれない。まじめになれない。本気になれない。
がんばれないんだよ。
小さいころからずっとそうだった。
でも、がんばったふりをした。それでそれなりにできてしまって、
それなりなのに、それなりでどうにかなってしまったから、
それだけしかできなかった。
それがよくなかった。
ずっと、ちゃんとがんばってこなかったから、
がんばりかたがわからない。
どう生きればいいのかわからない。
がんばれとか言われてもどうしたらいいか、わからない。
ぼくがふつうでいればいいなら、それならできる。
でも、がんばってやるなんて、できない。
ぼくが死んだら、きっと何人かは悲しんでくれると思う。
でも、半年たっても悲しんでくれる人なんていないと思う。
それが一年とか経つにつれて余計に悲しんでくれる人はいなくなる。
むしろ、ぼくの存在なんて忘れてるだろう。
ふとしたときに思い出す程度で。
人なんてそんなもんだろう。
ぼくが死んでも、世界は変えられない。
ぼくが死ぬと言っても、誰もぼくを愛してはくれない。
愛なんてわからない。
ぼくがどうされたいのか、わからない。
知らないよ。もう。
とにかく、つらいんだ。
つらくて、つらくて、つらくて。
誰か助けてほしい。ぼくを愛してほしい。ぼくを受け入れてほしい。
もういやなんだ。すごくすごく。
もうこの変わらない時間の中にいるのが嫌で仕方ない。
なにも変わらない。ただただ、自分が腐っていく。腐敗していく。
生きれない。生きることの価値がわからない。自分の意味がわからない。
他人が自分じゃないから、どうしたらいいのかなんてわからない。
比較したら、ぼくがダメなことしかわからない。
もしくは、ぼくがその他人を見下すことしかできない。
ぼくはヒーローじゃないし、善人でもないし、悪人でもない。
主役でも、宿敵でも、ラスボスでもない。
ただ、どこかに映っているか映っていないかわからないような、
名もない風景の一部みたいな人でしかない。
自分の価値なんて意味なんてない。
ただそう言いたいだけ。そういえば、ぼくがぼくでありえると思うから。
ぼくが、ぼくが、というのも、ぼくが居続けるために言っているだけ。
ぼくが、ぼくって言わないと、ぼくなんてもの、どこかに消えてしまう。
ぼくなんてもの、ほんとはどこにもないんだから。
なんで生きなきゃいけないんだろう。
なんで毎日を同じようにすごさないといけないんだろう。
なんで、なんでって思わないといけないんだろう。
なんで、こんなことつらつらと書き続けているんだろう。
ぼくがぼくであるために、ぼくがぼくでないために。
もういまの自分が嫌でしかたなくて、
どこにも頼れないから、
鬱病という言葉に頼りたくなってる。
ただそれだけだと思う。
たぶん、これまでとあまり変わらなかったと思う。
そんなに変わってないんだと思う。成長はしてないんだから。
ただ、違うのはまわりの人がかわっていること。それだけだと思う。
頼れる信頼できる人がいま周りにいなくて、
好きな人もいま周りにいないから。
もう生きるのがつらくなっているんだと思う。
こんなにも自分が他人に依存していたんだと驚くほどに、
いや、驚くことでもない。これまでずっとそうだったんだから。
だから、いま、すごく不安定になっている。こころが。
無理矢理にこころを向かわせる好きな人という存在もいまはない。
好きな子はいるが、その子にはふられているから。
もうどこにむければいいのかわらかないし、
もういいかげんここまで誰も届かないなら、
自信がなくなっていく一方でしかない。
会社でもなんでも、どこにもぼくの自信になるものがない。
ソーシャルネットワークは友達をつなげてくれるけど、
それの糸のせいで、ぼくは孤立していることに気づいて、
身動きがとれなくなって、首を糸が絞めていく。
生きるのがつらくなる。
むしろそのウェブのかまって蜘蛛に喰われてしまいたいとも思う。
そうすれば、恐怖を感じながら生きたいともがきながら死ねる。
きっと人間らしい感情に支配されながら一番生きれる。たった数秒の時間でも。
どうしようもなく、どうしようもなく、どうしようもない。
なにをしたらわからない。なにもしたくない。
こう書いていれば、少し楽になる。
自分がすごい人間だとなんか思ってしまうから。
なにもすごくないし、むしろめんどくさい変な人間でしかないけど。
でも、他人と違って、でも他の人よりも、いろいろ考えて感じているんだと自画自賛できるから、
きっと少し気持ちが落ち着くんだと思う。
別にすごくもなく、他の人も同じように思ったりして、
むしろ、みんなそれを克服して生きているんだろうけど。
でも、そんなこと知らないから、ぼくはぼくでいいと思う。
でも、そういうことを気にすると、ぼくだけが水槽の中で泳いでいる死ぬだけの魚だと思う。
みんな、ぼくのことをバカにしている、ぼくのことを見下している。
ぼくなんて、どうでもいい。きっとそう思っている。
他人を気にしたくないのに、一番他人を気にしている。
ぼくがぼくであり続けていることを求めているのに、ぼくが他人と同じようでありたいと一番思っている。
もうどうしたら、いいのか、ほんとにわからない。