2013/07/15

20130715

ぼくらの世界は、どこまで続くんだろうか。

気がつけば、歳をとり、ただ時間がぐるぐると回り、進んで行く。
毎日をぐるぐると、毎月をぐるぐると、毎年をぐるぐると。

進んで進んで進んで、
止まれば後ろを振り返るだろう。
また進めば前を向くだろう。

ただ、ぐるぐると、ぐるぐると、丸い地球を回る。

陽が沈み、星が輝き、月が欠け、
朝日が昇り、小鳥が歌う、
陽が隠れ、雲が流れて、虫が飛び、
花びらが舞い、陽がまた射して、

季節を乗せた風は、この街を通り過ぎて、
また、この街に帰ってくるのだろう。

ぐるぐると、ぐるぐると。

40,077km先の世界は、どこなんだろう。
きっと、ここではない、どこかなんだろう。

ぼくらは、まわる。ぐるぐると。ぐるぐると。
ただ、足下にある大地を蹴って前へ、前へと。


2013/02/25

つかれてる

ここ最近ずっと土日は、マンガとCDばかり買っている。。
どちらもお店で1,2時間いたりして、だんだん気分も悪くなっていく。。

なんか、疲れているんだろうと、とりあえず買ったものを散らかして思った。

なんか散らかっている。ぼくを中心にしてあちこちに走って走って首輪に結ばれた紐がどうにかならないかと走り回る犬のように。

まぁ疲れているんだろう。いろんなことに。疲れもストレスも楽しさもうれしさも目標も夢も信念も想いも何でもないこともどこに置くこともなく捨てることもなく、ただ空気のように、そこにあって、そこになく、存在があるようでないような、どうでもいいものになっている。自分も時間も場所も他人もいろんなことが。

こういう言葉も置いてくる場所も取られてしまい、生きにくい生き方をしているなとも思う。じゃぁどう生きたいのかと聞かれても具体的には何も言えやしない。

はじめは、このことばを、会社の人とか友人とかが見ているFacebookにあげようとも思ったが、そういう勇気、勇気なのかわからないが、そういうものがなく、結局やめて、こちらのブログにひさしぶりの投稿という形で置いておくことにした。

なんともイヤな生き方だ。自分の周りがめんどくさくてしかたない。
でも、めんどくさいけど、かまってほしいとも思ってしまう。
そういう自分もめんどくさい。そして、そのいろんなことがぼくを疲れさせてくる。

楽しくもない、楽しくなくもない。
どちらの感情も、ぶつける場所がなければ、意味のないものでしかない。

責任とか、そういうことばは止めてほしい。
仕事はゲームでしかない。問題を解いていく問題集でしかない。
それで賞金として給料を獲得していくだけでしかない。
楽しさはクリアすること、問題が解けて正解すること。
それ以上でもそれ以下でもない。

だから、つまらないわけではない。
だから、それなりに楽しくはやっている。

ただ、なんだか虚しい。
ただ、なんだかむなしい。

こんなふうに歳をとりたかったのではない。
何年も前のことがまるで数日前のように感じる。
こんなに時間がただただ過ぎていくのか。
それがコワいが、それを打破する自分を踏み出すことの方がもっとコワくなってしまっている。

自分で生きる。
それだけでしかないけど、
でも、生きることは他人がいること。

自分のよさなんてない。
かっこよくもない。
おもしろくもない。
才能があるわけでもない。
がんばっているわけでもない。
性格がいいわけでもない。
人付き合いがいいわけでもない。
なにもいいことがない。

そんな人間、ぼくだっていらない。
ぼくがいらないなら、だれもいりやしない。

いらない。いらない。いらない。いらない。いらない。

なんだか、どうすればいいのか、
どうしたいのか、よくわからない。

もういいよ。なんかいろんなことが。

とりあえず、つらいや。
つらい。

それだけ言いたい。
別に言葉をかけてほしいわけではない。
ただ、言葉はいらないから、気にかけてほしい。
ぼくがいること。ぼくがいたこと。

ことばをかけられても、
どう返せばいいのかよくわからないし、
どうその言葉のお礼をすればいいのかもわからないし。

とりあえず、最近、つらいです。
それだけです。

忙しいアピール、つらいアピールをしたいだけです。

そういうダメな人間です。


2012/07/16

なんとなく日記再開します。。

日記というものをずっと書いてなかったんですが、
これからちょこちょことストレス解消がてら書いていこうかと思います。。

昔はほぼ毎日ずらずらとどうでもいいことを書いていたんですが、
TwitterやFacebookが代わりになったり、
会社に所属するようになり、時間がとれなかったり、
疲れてたりで、しなくなってました。

で、そんな感じで、ストレスは異常にたまっていったものの、
Twitterとかでぶちまけて少しずつ解消していたんですが、
会社の人にチェックをされまして、
別に、フォロアーにも会社の人がいるので、
そんなに気にせず、会社に属する機密情報等は流さないよう、
第三者が見ても、関係者だとわからないよう細心の注意を払って、
やってたりしてました。

が、なんか、会社のTwitterをやっていない、上の方の人たちの間で、
ぼくが勤務中にえらいつぶやいていて、
会社に関する悪口をつぶやいていると噂をはじめました。

まぁ、噂をいうのは自由ですから、
ほっといたんですが、先日のボーナスを決める評価会議でも、
その話題が出て、あいつは、仕事をせずにTwitterばかりしている、と
誰かがいいはじめ、ぼくの評価を下げたとのこと。
どうにか、直属の上司が否定してくれて事なきを得ましたが、
なんとも残念な感じです。

まぁ別にいいですが、
そんな程度の会社だということでしょう。

ただ、あまりに会社の人から、つぶやいているんだろって言われて、
いいかげん嫌になったのでTwitterはやめました。
なんで、こんな会社のために、自分がやりたいようにやって、
迷惑もなんもかけてないのにやめなきゃいけないんだろうと思うけど、
もうめんどくさいのはイヤなんで、やめました。

ほんと、事実と異なるレベルで言われるので、ほんとイヤです。
そんな使い方していないし、そんなつぶやきしてないし、
勝手にそう思い込んだだけだろっていうものばかり。。。

あんな短いつぶやきから、勝手に状況を想像して、勝手に噂を広げないでほしい。
全然ちがいますから。あなた方の想像力は大してないですからね。。

まぁそんなこと思い、とにもかくにもTwitterはめんどくさくなってやめました。

ただ、ほんとうに、ストレスのはけぐちになっていたので、
今、ギリギリな感じです。
会社の仕事が忙しくないので、今は大丈夫ですが、
今後どうなるかわからない。。

Twitterがそんな感じだから、Facebookもあんまり出来ない。
こっちは初めから会社の人がいたし、
こっちもやめると何もなくなるからと思い、それはやってます。
ただ、色々、これはどうしようかなと思いながら、
最小限のものにしてます。
基本的に、Facebookも消極的な感じです。

ほんとなんなんでしょうね。。。
こういう日記もわざと公開してますが、
これを見て、また、勝手な憶測で、勝手な想像で話を広げて噂を広げるんでしょうね。。
もう勝手にしてください。
もう、いいかげん、めんどくさいです。いろいろ合わせるのが。

この日記を書き始めた一番の理由は、
すごくどうでもいいことではあるんだけど、
ぼくにとっては、一番、なんなんだよって思ったので。。

それは、こんなTwitterやFacebookやらで、
ひとの噂を流したり、あいつは、そればかりしていると言っておきながら、
誰一人、Facebookで誕生日コメントをくれなかったこと。

ちっちゃいやつだなって思うかもしれないけど、
誰一人くれなかったのは、ほんとなんなんだよって思う。
あれだけ、ひとのこと、言っておきながら、
Facebookでわざわざ知りたくもない人の誕生日を教えてくれるシステムがあって、
ぼくの誕生日も知っていただろうに、誰一人コメントなし。

大学や高校、小学校の友人、知人などは、
くれたのに、会社の人だけ一人もなし。
同期がメールはくれたけど。

なんなんだろうなって思った。
たぶん、この会社には合わないと思う。
こんな人たちとずっと一緒に仕事というものは出来る訳がない。
そんなことって思うだろうし、おまえの関わり方がうまくなかったんだろうと思うだろうけど、
それが結果がこれだってことは、
なんか、ダメだってことでしょ。

いやぁ、ほんと、なんなんだろうって思った。
人のTwitterやFacebookは勝手に見て勝手に話広げて勝手に噂するのに、
人の誕生日は勝手にくるのに無視して流すっていう。
なんか、完全に、いじる、いじめる対象でしか見られてないって感じた。
いじめですよ。ほんと。最近、ニュースを騒がしている。
本人たちは、違うとか思うかもしれないけど、それがいじめですよ。

まぁ、どうでもいいや。。。

そんなこと書きたくて日記を書いてたわけでもなかったのにな。。。
一応、日記を書き始めた経緯を書きたいなって思ってただけなんだけど。。。
もう何をかきたかったのか忘れたんでいいや。。。
このmacbookは、ずっと文字を打っていると、
角が腕に刺さって痛いね。。。


うーん。。。
まぁ、なんか会社が合わない。社会が合わないってことです。

なんなんでしょうね。。。
学生のときまでは、それなりに人と関われていたんでですけどね。。。
周りにいる人のタイプが違うんですかね。。。
学生のときは、自分と似たタイプの人間がたくさんいましたが、
いまは、ほとんどいないですからね。。。

なんか、話が合わないんですよね。。
考え方とか、いろいろ。

それに伴って、ぼくを勝手な想像で見られますし。。。
なんか知らんけど、ぼくはオタクでアニメとアイドルが好きらしいです。
知らないって。
アニメも見ますし、アイドルも好きなのはいるけど、
オタクってレベルには達してない、一般人に毛が生えた程度ですよって。
むしろ、最近の一般人のアニメ好き、アイドル好きの方がレベルが圧倒的に高いですからね。
全然ついていけない。

まぁどうでもいい。。


そんな感じで、
とにかく、思いつく限り、好きなことをまた書いていこうかと思います。
今回みたいな普通な、イライラの表現のときもあるだろうけど、
どちらかというと、もっと毒をはく感じになるだろうけど。
よぉわからんことを出しますので。詩みたいな感じで。
そういうのは、ほんとストレスがたまっている状態なので、
ストレス発散させてください。。。

いまは、具体的な内容でせめるところがあるけど、
具体的な内容でせめるものがなくなると、
もう、そうやるしか、解消ができないんですよね。。。

いろいろ、人との関係とか、自分のダメさとか、
人を好きになることとか、これからの将来のこととか、
自分のやるべきこととか、生きるのがいやになることとか、
まぁ、いろいろなことですね。。。


まぁそんな感じで、
日記さいかいします。
完全にプライベートな感じですけど。



2011/10/11

10月の壁紙カレンダーをアップしました

どーも。おひさしぶりです。

さて、10月も体育の日がひさしぶりに10日に来てましたが、
遅くなりましたが、10月の壁紙カレンダーをアップしました。
http://www.geocities.jp/penizm3/


また使い回しです。。。
なんだか、10月は連続で使い回しです。。。
なんででしょうね。。。ハロウィンがテーマなので、そんなに新しいキャラクターを作るのは困らないんですけどね。。。

たぶん、キャラクター以外の部分がきついんですよね。。
全体のバランスとかをハロウィンっぽくしようとすると、
そこをいちから作るっていうのがめんどくさくなって、
まぁ、とりあえず、昔つくったやつを使い回してやろうっとなっちゃうんでしょう。。。

うーん。。。

来年は新しいのでいきたいですね。。。
どうなるかわかりませんが。。。(笑)


ということで、とりあえず壁紙を更新したので、
日記を取り急ぎかきました。。。

ちゃんとした日記はまた今度。。。書くかわかりませんけど。(笑)

2011/09/25

つらつらと、

なんとなく、ひさしぶりに日記をつらつらと書きます。
吐き出してないと、頭がおかしくなりそうで、
文字に書いても、そんなもの解決しそうにないけど、
とりあえず、なんでもやってみようと思いまして。。。
特に誰かに読んでほしいというわけでもなく、
特に誰かに助けてほしいというわけでもないですが、
ただ、自分だけの中で書いているだけでは、こころが解放されないと思い、
このようなかたちで書きます。


twitterもFacebookもありますが、
mixiがいちばん身近な人たちばかり、というか、
非公開にでき、会社の人が一人もいないってだけですし、
みんな最近やっていないので、何書いても大丈夫かなって思って、
唯一、このソーシャルネットワークで、ギリギリ安心できるところかと思い、
日記を書き始めましたが、文字制限があって全部載らなかったので、
自分のウェブサイトなら、逆に不特定多数には見られるものの、ほとんど見られないので、
ある意味安心なのかなとも思ったりし始めてたので、
こちらにも載せます。まぁ読む価値は全くない自己満足な文章ですけど。

さて、なんでこういう感じで書き始めているのか、よくわかってはないですが、
なんか、最近、ずっと気持ちが落ち込み続けてます。
あまりに、自分に自信がなく、あまりにというよりも、
もはや全くなにも自信がない状態で、自分の価値が見いだせず、
ただただ、生きているのがよくわからない状態になっています。
死にたくないけど死んでしまいたいと言葉に出したくなる。
誰も殺したくないけど死んでしまえと言いたくなる。
という感じで、なんだから鬱病なのかなっとか思ってます。
あんまり単純に鬱病だなんて思いたくないですが、
もしこれが鬱病で薬で治るなら治してほしいって思う。
あまりに自分が虚しくて哀しくて辛くて自分でどうしようもない気がするので。
いっつもそんな沈んでいるわけでもないですけどね。
それなりに普通だなって思ってはいます。いつもは。
ただ、こう休日になったり夜になったり朝になったりすると、
非常にいやな気分になる。なにもしたくないし、自分が虚しくて仕方ない。
なんで、こんな生き方しているんだろうとか、
なんで、ぼくはこんな人間なんだろうかとか。
鬱病だった人が以前、友達の友達ぐらいの距離にいて、
あんまりなんでもかんでも鬱だとか簡単に言うのはよそうと思って、
ぼくも鬱だとは思いたくないし、言葉には出したくなかったけど、
今の状況がどうにかなるんだったら、鬱病だと言って、
どうにかしてほしい。
自分でどうにかできない。
自分でどうにかしなきゃいけないとはわかっていても、
自分でどうすればいいのかがわからず、
それができない自分が余計に嫌になって、
もう自分のいる価値がただただゼロに限りなく近づいていく。
そんな状況です。
でもなかなか診察に行く気持ちにはなかなかなれない。
鬱病になったら、治療のために休職しないといけないですし、
実家に暮らしているので、両親に面倒を見てもらわないといけなくなる。
まず、休職に関して。別にそんな今の仕事が好きではないです。
責任感も全くといってないです。確実に。
自分が抜けてしまったら、、とかそんなことは微塵も感じてないです。
むしろ、自分がいなくても問題ないし、
逆に、いなくて別の人が入った方がいいだろうと思ってます。
ただ、嫌なのが、また仕事で精神がやられたやつが出たとか、
大した仕事してないのに弱いやつだなとか、
そういうふうに思われるのが、すごくいやでしかたない。
また、後輩とか、とくに好きな後輩の子がいたんですが、
(既にふられてますが、)その子に、どんな気持ちでも、
なにかしら思われるのが、ほんとに嫌で仕方ない。
その子はすごいがんばってやっているのに、
その先輩であるぼくが精神をやれてしまっている、
告白してきたバカな先輩がダウンしている、とかなんでもいいから、
なにかしらぼくが認識されるのが嫌でしかたない。
ダメなバカで頼りない先輩のままの方がまだましだと思う。
別にぼくがいま、すごく精神的にやられているのは、
仕事がどうとかとは全く関係ない。
少なからず関わっているのは否定しないですが、
でも、それがメインではない。
だから、仕事を結びつけられたくない。
仕事なんて、ぼくを鬱にさせられるレベルのものじゃない。
そんな、うちの会社の業務レベルで、ぼくは鬱になんか絶対にならない。
でも、仕事場の人たちは、社員でダウンをした人がいたら、
必ず仕事と結びつける。
ぼく自身もそうだった。
これまで、うちの会社で、ダウンした人は何人もいる。
みんな、仕事が忙しかったからという理由にさせられてた。
ぼくもそう思っている。
だから、きっとぼくが休職したら、みんなそう思うだろう。
だから、鬱病なんかに診断されたくない。
休職することが、むしろ逆にぼくの心に負担をかけてくる。
あと、休職して復帰したら、確実にうちの会社は、
内職の別の部署に異動させる。
それこそ、いらぬ親切だと思う。
ほんと最悪で仕方ない。
もしぼくがそういうことをされたら、確実に会社を辞めます。
そんな会社にいたって何も得られないし、いたくもない。
ぼくを鬱にさせたものが会社的なもので言うのであれば、
それは社会でしかない。社会人になってしまったことが失敗なんだと思う。
うちの会社レベルがぼくにどうとか出来るレベルじゃない。
ぼくはもともと社会人には向いてなかった。ただそれだけだと思う。
こういう人間は、教職とかに逃げるものらしい。
たしかに、そういう環境であれば、それなりの生活ができるのかもしれない。
でも、ぼくは教職免許もとってないし、そういうのはできないし、
こども好きでもないし、そんなことしたくもない。
むしろ、ストーカーとかセクハラとか、そういうのをして捕まるようなタイプだと自覚している。
基本的に変態ですから。
こどもは好きじゃない。ぼくと仲良くしてくれるこどもは好きだけど。
結局、他の大人と同じ、ただの人間なんだから、
仲良くしてくれる人は好きだし、そうじゃない人はそうじゃない。
結局、変わらない世界だから、大して変わらないんじゃないかと思う。
そもそも、変にランクを気にする人間だから、
そういうところは、下のランクだと思っているから、
そういうところには行くことはないんだと思う。
たとえ行ったとしても、自分は下のランクにいるんだと思い、
自分がどんどん嫌になっていくのにかわりはないと思う。
いつまでもいつまでも、ぼくは上のランクにはいけないのに、
上のランクばかりに気にしている。
そもそもランクなんてもの、自分で勝手に決めたものなんで、
ランクなんてもの、ありもしないのに。
でも、そういうものがないと、自分の価値が見いだせない。
自分がどのランクにいるかということで自分のポジションを見つけられない。
人のせいにするなら、そういう教育をずっと小学生のときからされていたからと言っておこうか。
常に点数で順位をつけて、ある程度以下は、ダメなやつ、ある程度以上は、優秀なやつ。
そういう世界でしか生きれない。そういう世界だけなら生きれるのか。そんなこともないが。
結局、落ちこぼれだから、生きれない側でしかない。常に。
落ちこぼれなんですよ。ほんとに。
なんかときどきいい成績を出すから、そこそこのレベルにいるけど、
常に、ぼくは落ちこぼれでしかない。
いつもみんなに置いてかれている。
よくわからないけど、とりあえずその場にいるためにごまかしてついていっているふりをする。
でもぼくは全然追いつけてない。なにも成長してない。ぼくだけ。ぼくだけ。
それがいつまでも続いている。小さかった頃から、今もなお。
ぼくだけが成長しない。ぼくだけが別の世界。
みんな生きている。ぼくは生きているのかわからない。
みんながわからない、ぼくがわからない。
どうしたらいいのかわからない。なにもわからない。ぼくはただぼくってだけじゃいけないのか。
みんな、死んじゃえよ。もう。みんな、いなくなったら、こんなに苦しまない。
みんなと比較できちゃうから、苦しい。
みんな、いなくなればいいなんて、うまくいくはずがないのはわかっている。
じゃぁ、ぼくがいなくなればいい。ぼくが死んだらいい。
でも、ぼくも死にたくない。死んだらなんの意味もない。
だから死ねない。だからみんないなくならない。だからなにもかわらない。
どうしようもない。ただ生きているだけ。ただ生きているだけなのに、なんでこんなに辛いのか。
生きることが不安定だったらよかったのに。
毎日生きていることに喜びを感じられるような不幸な立場だったらいいのにって思う。
そんなこと言ったら、そういう人たちから本気で怒られて殴られると思うけど。
でも、そういっても殴ってくれる人もいないこと知っているし、
殴られてもぼくはなんとも思わないのも知っている。
全部わかっている。だいたいわかっている。なんとなくわかっている。
だからなにも感じない。なにも驚かない。普通に理解できるから。
あたまがいいと言ったらそれだけでしょうけど、でも実際そうだと思う。
自分では気づかなくても、人に言われたら、それは理解できて、それが正しいと思うなら普通に受け入れられる。
それはぼくの自我がないというわけではなくて、自分でそう思ったからでしかない。
人によって自分が作られているわけでもない。
そういって自分を守ろうとしているのには否定はしないが、
それでも、ぼくがいまぼくとしているのだから、ここにぼくがいることにはかわりない。
たとえ、これまでと違う自分でも、これがぼくでしかない。
だれがまわりにいようが、これがぼくで、
ぼくが最も大事にしている、最も愛している人間でしかない。
ぼくがいなきゃ、この世界だってない。
ぼくが見ているのが世界なのだから、見ている主体のぼくがいなければこの世界は成立しない。
ぼくが死ねば、この世界は終わる。
他の人が見ている世界は続くだろうけど、ぼくが見ている世界は確実に終わる。
ぼくが死ねば、他の人の世界のぼくも死ぬだろう。
でも、それは一時的なものでしかなく、ぼくの存在は次第に消えてなくなるだろう。
だから、ぼくは死ねない。ぼくがいなくなれば、ぼくがいなくなるから。
もうただ言い続けることでしかぼくが存在できないと思ってしまう。
いつも同じことばかり、自分に話しかけて、自分を肯定化しようとする。
それでしか、自分を保って行けないんだと思う。
だれもぼくを支えてくれない。だれもぼくを助けてくれない。だれもぼくを愛してくれない。
人にたよるからいけないんだと言う。ぼくもそう思う。
じゃぁ、どうすればいいんだよ。頼れる人がいないのに、どう生きろというのか。
踏ん張れる足下がないと、壁がないと、力なんていれられない。
ただただ、落ちて行くだけ。つかまる場所もないから、ただただ落ちて行く。
人に頼らず生きろというのは、頼れる人がいる人だけの言葉だと思う。
たぶんそういうと、頼れる人はいるけど、それは相互で片方からではない、
お互い様な関係だと胸をはっていい、こちらを罵倒するだろう。
しかし、それがいるということ自体がそちらの有利なポイントだということに気づかない。
ゼロであるぼくがイチであるそちらに敵うはずがない。
ひとをバカにしないでほしい。ぼくだって、だいたいのことはわかっている。
もう28年間も人間として生きて、人間を見て生きてきているのだから。
もう大人な歳だ。こどもがいておかしくなく、結婚してていい歳だ。
だからなんだ。年齢で人を判断するな。
なんで年齢で人を判断するんだ。見た目で判断するんだ。性別で判断するんだ。
大学で判断するんだ。能力で判断するんだ。話し方で判断するんだ。
趣味で判断するんだ。友達で判断するんだ。仕事で判断するんだ。
人を判断するな。人を判断するな。ぼくを判断するな。誰も判断するな。
判断させるな。ぼくに判断させるな。
もういやでしかたない。
なんで、他人がいて、ぼくがいるのか。
ぼくを愛してくれ。ぼくと話してくれ。ぼくを甘やかしてくれ。
どうしたらいいのかなんてわからない。もうなんもわからない。
ぼくがどう生きればいいのか、どうでもいいことじゃないのか。
生きることってそんなに大事なことなのか。
死んだらいけないのか。死んだら、ほんとになにもなくなるのか。
ぼくが生きれないのか。生きてどうするんだ。
なにも楽しくない。誰もいてくれない。
人を愛せない。だれか愛したい。だれか殺したい。
ぼくが体をもっていなければきっと自由になれるのか。
自由なんてないし、自由なんて求めてない。
自由ってなんだよ。笑わせるな。
自由ほどコワいものはない。なにをすればいいのかわからない。
どうあればいいのかわからない。
自分で決めていかなきゃいけない。自分で生きなきゃいけない。
他人がぼくを生かしてくれればいい。
そうすれば、ぼくはただ生きて行ける。
ぼくはもうそれでいい。それで生きている実感がわけるなら。
居場所がない。
生きている場所がない。
生きている時間がない。
こんなにも長い時間が過ぎているのに、
どこにもぼくが生きている時間がない。
これからもどこにぼくが生きている時間があるんだろうか。
どうしたらいいのかがわからない。わからない。わからない。
もうなにもわからない。どうしたらいいのかわからない。
まぁ、そんなことを思う。どんどん深い不快感情的な方に流れて行ってしまいましたが。。
で、なんでしょう。なにを書きたかったか忘れましたが、
とりあえず、いったん気分をかえつつ書き続けましょう。。。
そぅ、なんで自分がほんとに鬱病なんじゃないかと思ったのは、
つい最近、大学の研究室のときに一緒だった人たちと飲んだんですが、
あんまり楽しくなかったんですよね。。。
会社の人たちとかと飲んでも楽しくないって思うのは理解できるんですが、
大学の友達と飲んでも楽しくないって危ないって思いました。
ものすごく仲の良い人たちというわけでもなかったですが、
むしろ、そういうものすごく仲の良い人なんていないと思いますが、
以前、集まったときは楽しかった。
その前に、別メンバーが多かったときの人たちと花火を見に行ったりしたときも、
なんだか、いまいち楽しめてなかった。
なんか、自分が当時の自分と違うことを感じてふわふわしてて、
わけがわからなかった。
なんか、自分はこういう人間じゃなかったのにってすごく思った。
あのころより自分がただ単にダメな人間になっていると。。
そう、なにが原因かというと、
仕事とかじゃなくて、人間関係と自分自身だと思います。
誰か特定の人にどうとか、特定のグループでどうとかでなく、
そもそも人間関係が薄いことがすごくストレスになってます。
友達はいますが、そんなに関わってない。
関わろうと思っても関われない。楽しめない。話せない。
自分のまわりには誰もいないし、誰もこないと思う。
あとは、恋人とかもそうです。
もう28歳なのに、ずっといない。まともにいない。
みんな次から次へと恋人をつくったり、結婚したり、
わけがわからない。
ぼくは人を好きになっても、みんなにふられる。
いろいろな人に興味をもっても、みんなにふられる。
だれからも好かれない。好かれても関わったら嫌われる。
自分は何の魅力もない人間なんだと思う。
ひとりで楽しく以前はしていたけど、
最近、あまりに自分がひとりぼっちだと気づいて、
ひとりが楽しめなくなっている。
出会いがないから、出会いを求めないからと周りに言われるけど、
じゃぁ、合コンしたから、出会いがあるかと言われても、
人と話すのが苦手で、その場で会ったら、その場で終わりでしかない。
どうにか続けろと言っても、その場であって、その後に続ける術をしらない。
それに、どうしても、恋人がほしいと思って、そういうのに参加するから、
好みの人がいなければ、それ以上かかわろうとも思えない。
別に、話が得意じゃないし、友達の作り方もよくわからないから、
その先に続けるような、そんな器用なことなんてできやしない。
複数人のなかで会話をすることができないんだから、どうしろというんだろうか。
正直、脳の発達が良くないのか、
人の言葉を聞き取れないことが多い。
特に複数人が同時に会話しているような、うるさい場所だと、
まったく人が発している言葉を認識できない。
一対一でも常に全ての言葉を認識しているわけでもなく、
聞き取れないことがよくある。
でも聞き取れないから聞き直してもまたわからないし、
3回以上聞き直しても理解できる保証もないから、
聞き直さずになんとなく笑ってごまかすことしかできない。
だから、人と話したくない。特に複数人いる場合は。
一対一であれば、静かなところではなせば聞こえるからいいけど。
うるさくても近くで話せばどうにかなるし、
聞き直しても、時間がなくなることもないから、まだ気持ちに安心感がある。
どうこう言われようと、ぼくは耳が悪い。
検査で結果が出た訳ではないけど、確実に悪い。
以前、テレビで雑音の中で人は言葉を認識できる能力があるとやっていたが、
ぼくはまったくそれが出来なかった。まったく。
スタジオのタレントはみんな、すごいすごいと言ってやっていたが、
ぼくはまったく何も聞き取れなかった。
それを見て、ぼくが耳の悪さはその能力の欠如なんだとわかった。
耳のせいにしてますけど、
ただコミュニケーション能力が低いのが原因だとも思う。
これまでちゃんと人と関わっていなかったからか。
ぼくはぼくなりに人と関わっていたつもりだったけど。
でも、もっと多くの人と関わっていたら、少しは違かっただろうと思う。
まぁ、ぼくがもっと多くの人と関われていたかと思うと、
絶対に関われていなかったと思いますけど。
という感じで、なにを言いたいのかわからなくなってますけど、
とりあえず、仕事がきついとかではなく、
人間関係や自分自身のダメさで、こんなにも心が沈んで、
鬱病な雰囲気を出しつつあるってことです。
あぁ、自分自身のダメさに触れてなかったですね。。。
まぁどうでもいい。自分自身のダメさなんて、
さっきからつらつらと書いている中でちょこちょこあったからいいでしょう。
もう、どうでもいい。
こうやってどうでもいい日々が重なっていく。
どんどん上書きされて、そこにとどまる。
なにも変わらない。なにも変わらない自分。
生きていても仕方ないんじゃないかと思う。
就職まではレールが一般的にひかれていたから、
とりあえず、次のステージではどうにかなるって思って、
レールがあるのかもよくわからず、とりあえず年をすぎていったけど、
もうこの後なんて、よくわからない。
これまで変わらなかったんだから、変わることもない。
ただ、自分では変わってないと思っていたけど、
変わっているんだなっていうのも思う。
いい方向でなく、わるい方向だけど。
すごく自分がどんどんダメな方向に変わって行っているのがわかる。
こどものころはもっと素直で真面目で少し変わってるかわいいこどもだった。
でもいまは、バカで頑固で変態で気持ち悪いダメな人間でしかない。
誰ともまともに関われないし、まともに自分を生きられもしない。
これからも変わらないと思う。
そう思うと、これからも生きる必要性がわからない。
別に変わらないなら、生きていても仕方ない。
自分がどうなりたいかとか、夢とか希望とか、そんなもの忘れてしまった。
今から作ればいいのかもしれない。
でも、今のぼくじゃ作れない。
何も自信がないから、ふんばれる地面もないから、ジャンプなんてできないから、
空にむかって手を伸ばすこともできない。
がんばれない。
がんばれない。
がんばれないだ。
ほんとに。一生懸命になれない。まじめになれない。本気になれない。
がんばれないんだよ。
小さいころからずっとそうだった。
でも、がんばったふりをした。それでそれなりにできてしまって、
それなりなのに、それなりでどうにかなってしまったから、
それだけしかできなかった。
それがよくなかった。
ずっと、ちゃんとがんばってこなかったから、
がんばりかたがわからない。
どう生きればいいのかわからない。
がんばれとか言われてもどうしたらいいか、わからない。
ぼくがふつうでいればいいなら、それならできる。
でも、がんばってやるなんて、できない。
ぼくが死んだら、きっと何人かは悲しんでくれると思う。
でも、半年たっても悲しんでくれる人なんていないと思う。
それが一年とか経つにつれて余計に悲しんでくれる人はいなくなる。
むしろ、ぼくの存在なんて忘れてるだろう。
ふとしたときに思い出す程度で。
人なんてそんなもんだろう。
ぼくが死んでも、世界は変えられない。
ぼくが死ぬと言っても、誰もぼくを愛してはくれない。
愛なんてわからない。
ぼくがどうされたいのか、わからない。
知らないよ。もう。
とにかく、つらいんだ。
つらくて、つらくて、つらくて。
誰か助けてほしい。ぼくを愛してほしい。ぼくを受け入れてほしい。
もういやなんだ。すごくすごく。
もうこの変わらない時間の中にいるのが嫌で仕方ない。
なにも変わらない。ただただ、自分が腐っていく。腐敗していく。
生きれない。生きることの価値がわからない。自分の意味がわからない。
他人が自分じゃないから、どうしたらいいのかなんてわからない。
比較したら、ぼくがダメなことしかわからない。
もしくは、ぼくがその他人を見下すことしかできない。
ぼくはヒーローじゃないし、善人でもないし、悪人でもない。
主役でも、宿敵でも、ラスボスでもない。
ただ、どこかに映っているか映っていないかわからないような、
名もない風景の一部みたいな人でしかない。
自分の価値なんて意味なんてない。
ただそう言いたいだけ。そういえば、ぼくがぼくでありえると思うから。
ぼくが、ぼくが、というのも、ぼくが居続けるために言っているだけ。
ぼくが、ぼくって言わないと、ぼくなんてもの、どこかに消えてしまう。
ぼくなんてもの、ほんとはどこにもないんだから。
なんで生きなきゃいけないんだろう。
なんで毎日を同じようにすごさないといけないんだろう。
なんで、なんでって思わないといけないんだろう。
なんで、こんなことつらつらと書き続けているんだろう。
ぼくがぼくであるために、ぼくがぼくでないために。
もういまの自分が嫌でしかたなくて、
どこにも頼れないから、
鬱病という言葉に頼りたくなってる。
ただそれだけだと思う。
たぶん、これまでとあまり変わらなかったと思う。
そんなに変わってないんだと思う。成長はしてないんだから。
ただ、違うのはまわりの人がかわっていること。それだけだと思う。
頼れる信頼できる人がいま周りにいなくて、
好きな人もいま周りにいないから。
もう生きるのがつらくなっているんだと思う。
こんなにも自分が他人に依存していたんだと驚くほどに、
いや、驚くことでもない。これまでずっとそうだったんだから。
だから、いま、すごく不安定になっている。こころが。
無理矢理にこころを向かわせる好きな人という存在もいまはない。
好きな子はいるが、その子にはふられているから。
もうどこにむければいいのかわらかないし、
もういいかげんここまで誰も届かないなら、
自信がなくなっていく一方でしかない。
会社でもなんでも、どこにもぼくの自信になるものがない。
ソーシャルネットワークは友達をつなげてくれるけど、
それの糸のせいで、ぼくは孤立していることに気づいて、
身動きがとれなくなって、首を糸が絞めていく。
生きるのがつらくなる。
むしろそのウェブのかまって蜘蛛に喰われてしまいたいとも思う。
そうすれば、恐怖を感じながら生きたいともがきながら死ねる。
きっと人間らしい感情に支配されながら一番生きれる。たった数秒の時間でも。
どうしようもなく、どうしようもなく、どうしようもない。
なにをしたらわからない。なにもしたくない。
こう書いていれば、少し楽になる。
自分がすごい人間だとなんか思ってしまうから。
なにもすごくないし、むしろめんどくさい変な人間でしかないけど。
でも、他人と違って、でも他の人よりも、いろいろ考えて感じているんだと自画自賛できるから、
きっと少し気持ちが落ち着くんだと思う。
別にすごくもなく、他の人も同じように思ったりして、
むしろ、みんなそれを克服して生きているんだろうけど。
でも、そんなこと知らないから、ぼくはぼくでいいと思う。
でも、そういうことを気にすると、ぼくだけが水槽の中で泳いでいる死ぬだけの魚だと思う。
みんな、ぼくのことをバカにしている、ぼくのことを見下している。
ぼくなんて、どうでもいい。きっとそう思っている。
他人を気にしたくないのに、一番他人を気にしている。
ぼくがぼくであり続けていることを求めているのに、ぼくが他人と同じようでありたいと一番思っている。
もうどうしたら、いいのか、ほんとにわからない。

2011/03/15

地震、JDN年賀状 優秀賞、3月壁紙カレンダー、、

(mixi日記と同じです)

どーも。

みなさん、地震は大丈夫でしたか?
ぼくは地震のとき、都内にいて、
会社からちょうど外出しようと、駅の改札の前にいました。
揺れを感じて外に出てみると、
会社の隣のビルが、ぐねぐねと曲がって、
折れるんじゃないかと心配になりましたね。。。

ビルのガラスが割れたり、落下物でケガをしないように、
周りに気をつけてはいましたが、
特に何も壊れず助かりました。

結局、何もなく無事でしたが、
金曜は会社に泊まり、土曜の昼頃に帰りました。
エレベータが止まったり、
近くのスーパーに買い出しに行ったらほとんどなかったり
気がついたら、会社の人がどんどん帰っていて
土曜の朝にいた人が思っていたより少なかったですけど。。。(笑)

で、今日は、いつも使っているJRが終日運休とのことで、
出勤できず、自宅待機です。。。
なんか、気持ちも落ち着かず、業務関係の資料も全部会社なので、
ほとんど何もできませんでしたけど。。。

なんか、一瞬で世界が変わってしまったようで、
不思議な感じですね。。。
でも、関東はあまり被害がなくよかった方ですね。。。


さて、そんなときに、
不謹慎ですが、お二つご連絡。

ひとつめ。
JDN年賀状2011で優秀賞に選ばれました!
パチパチパチ!!

フォト

http://compe.japandesign.ne.jp/report/from_JDN/gajou11_result/
(リンク先の同じ絵をクリックして別ウィンドウで出たものがわかりやすいと思います。枠もありますし、逆さの画像も載せてくれているので。)

うれしいですね。
過去に、JDN暑中見舞いのコンペで、
入選してましたが、
今回は優秀賞なのでうれしいです。

しかも、総評を読んだところ、
最優秀とアイデア面では甲乙つけがたいというコメントもあり
ほんとうれしいです。

なんか、入賞の連絡は一ヶ月以上前に来てて、
プロフィールとかコメントとか送ってたりしていたんですが、
更新が遅くなったようで発表が遅くなりました。

少しでも元気になってもらえるようにと、
出身の研究室名をあえてプロフィールに載せていましたが、
間に合わなかったのが悔しいです。。。
久美子さん、優秀賞とりましたよ。
喜んでくれた笑顔が思い浮かびます。そしてお言葉も。。これからもがんばります!

また、震災後なので、
いろいろ自慢したかったのですが、
なかなかそれも出来ず、かなしい感じです。。。
理不尽ですが、素直な気持ちです。。
先輩、後輩、友人に自慢したいです。。
(まぁこの場で自慢しちゃってますけど。。。)

でも、震災で気持ちが沈んでいたりするので、
これを発表することで、
少しでも気持ちが晴れてくれればと思ってます!


さて、ふたつめ。
いまさらですが、3月壁紙カレンダーをつくりました。
途中まで作っていた中、震災があったので、
急遽、言葉だけでもと思い、加えました。

フォト
PC用

フォト
携帯用

http://www.geocities.jp/penizm3/

3月なので、卒業式を意識してみました。
これから次のステージに進む人たちに
次のステージでも花が咲くような活躍をしてほしいということと、
この卒業するステージがすごくすてきなもので、
桜のきれいさにも負けないものだったことを意識してほしいなっと思って、
そんな意識で作りました。
あんまり、うまくできませんでしたが。。。

一応、桜の形が、街の空を眺めたような(魚眼レンジ)意識で作りました。
全然うまくできてないですけど。(笑)

年賀状のもそうですが、
手前と奥が曖昧なものが好きなんですよね。。。

これも、街を空を眺めているんですが、
それは桜の中で、外に空がある。
でも、その空は建物の影で、
その中心に空がある。

ひとつひとつのステージがひとつの世界なんだと思ってます。
そこから、つぎのステージの世界にいく。
きっと怖いけど期待もあったりすると思う。
きっといい場所や時間だと思う。

そして、大事にしてほしいことは、
これまでいた、そのステージも、
毎年と、定期的に花を咲かせて美しくなる桜の木のように、
ずっと、変わらないものなんだと意識してほしい。

友達はずっと友達だし、母校はずっと母校、
一緒にすごした記憶や思い出は、ずっと一緒だから。
さびしくなったり、つらくなったら、
いつでも戻ってきていい。
そのことを忘れないでほしいなって思ってます。


といういろいろな思いがありましたが、
うまくできないですね。。。(笑)


で震災ということで、コメント追加。
「がんばれ、にっぽん!がんばろ、にっぽん!」
「まずは、節電。まずは、寄付。」

ちょっと何か、ぼくにできることないかなっと思って、
使ってくれれば、毎日見るであろう壁紙にコメント書くことは有効的かと思い、
コメントを書きました。

いろいろな報道があり絶望的な情報や心配な情報やらが行き交ってますが、
自衛隊の人たちや、東京電力の人、交通各社、政府、赤十字、各企業・団体、著名人、いろんな人が、
みんなを救おうと、すごく動いている。

海外のメディアなどが日本を賞賛していたりしてる。
そういう前向きな意識を持ちたいなって思って、
「がんばれ、にっぽん!」だけでなく、
前向きに「がんばろ、にっぽん!」という言葉を加えました。
みんなで協力すれば、少しでも多くの人が助かると信じてます。

そして、まずやれることをやる。
今日から、計画停電が随時行われていて混乱してましたが、
最初にできるのは、今回は節電かと思う。
継続的で、大変なことかもしれないけど、
みんなががんばれば、大丈夫だと思います。

そして、寄付。
いまは、現地にいっても素人ボランティアは、
役に立たないどころか、足手まといになります。
ここは、プロの人たちにまかせて、
寄付をすべきかと思います。

ちなみに、寄付先は以下サイトなどにまとまってます。
http://matome.naver.jp/odai/2129989217646489401

ぼくはとりあえず、
口座を持っている三菱東京UFJ銀行と楽天銀行で寄付しておきました。
あとGacktがやっているSHOW YOUR HEARTにも寄付しておきました。
http://static.hangame.co.jp/hangame/extra/showyourheart/index.html

みなさんもよければ、どうぞ。


それに、大丈夫だったぼくらは、
被災者の人たちが、少しでも早く日常生活をすごせるよう、
しっかりといつも通りに動いていなければならないと思う。

だから、今できることは、
節電と寄付かなと思って。

あと、どうしても時間が経つと、
意識が薄くなってしまうから、
今月いっぱいは、しっかりと節電と寄付は意識してほしいなと思って、
具体的に書いてみました。
まぁ、今後も節電、寄付でしょうけどね。。。

できれば、今後も壁紙カレンダーには、
何かしらコメントを載せたいと思ってます。。。


ということで、長くなりましたが、
よければ使ってくださいな。



最期になりましたが、
東北地方太平洋沖地震による被災者の方々、
そのご家族の方々に心よりお見舞い申し上げます。。。

ぼくらは、皆さんが復興するまで、
何かしら微力ですが援助していきたいと思っています。
みなさんの笑顔が溢れることを心より期待しています。

2011/02/13

これからは。。。2月壁紙カレンダー更新。

どーも。PeNです。。。
ずっと、mixiの日記とTwitterでしか更新せず、
BLOGが更新できてなかったです。。。

BLOGはまた別物でって思っていたんですが、
どうもそうやる余裕もないので、
これからは、mixi日記のを、
部分部分を調整しつつ、公開していこうと思います。。。

このウェブサイトも更新する場所が、
カレンダーだけですからね。。。



ということなんですが、
カレンダー告知な、日記です。。。


///////////////////


どーも。
さて、日記です。。。

もう半月が過ぎようとしてますが、
2月の壁紙カレンダーです。

フォト
(ワイド版)

フォト
(携帯版)

http://www.geocities.jp/penizm3/


まぁ、2月なので、バレンタインをイメージしたものです。
今回も手抜きな感じですね。。。
どこかで見たことあるようなものばかり。。。

うさぎは、年賀状用に作ったものですし、
左側のラインに水玉は、以前6月カレンダーで使ったイメージですしね。。。
ハートのは初ですけど。。。

ちなみに、

「C'est le temps que tu as perdu pour ta rose qui fait ta rose si importante.」

は、「星の王子さま」からの引用。

一応、日本での著作権は2005年に満了しているそうなので、
使ってもいいかなっと。
毎回、気にしてないんですけどね。。。
ちなみに、日本は著作者の死後50年ですが、
EUは死後70年で、この場合、2014年まで、
フランスでは、本件は死後100年と定められているらしいので、2044年。

まぁ、どうでもいい話ですけど。

で、意味は、内藤濯の翻訳に基づくと

「あんたが、あんたのバラの花をたいせつに思っているのはね、そのバラの花のために、ひまつぶししたからだよ」

です。
「ひまつぶし」って?って感じですよね。。。
翻訳がおかしいんですよね。。。

他の方、市川明日香さんという方だと次のように訳してます。

「君が君のバラの花のために費やした時間があるからそのバラがそんなに大切に思えるんだ。」

まぁ、原文はいろんな意図が隠されているらしいので、
これもあくまでも一例にすぎないようですが。。。

まぁ、なんとなく意味をくみとってください。


ぼくとしては、

「なんでもない毎日を一緒に過ごしたから、あなたとバラがすごく大切なものなんだ。」

というような意味かなぁとか思ってます。

バレンタインも、そういうことを意識して、
感謝の気持ちでもいいのかなっと最近思います。
なんでもない毎日をかみしめるきっかけのような。。。

年齢的なものもありますが、
バレンタイン=告白っていうのももはやないですからね。。。

女性から男性だけの感謝の気持ちって、一方的で、
むしろ男性からほしいと思うかもしれませんが、
さっきの言葉と同じですが、どちらがあげたとかは、大事ではなく、
その瞬間を一緒にすごしていることが大事だと思います。

そういうなんでもないようなことを、
かわいくきれいな甘いチョコを食べて幸せな気分にいられるだけで、
きっと幸せなことなんだと思います。。。

いつもとかわらない、なんでもない毎日に、
甘いチョコがやさしく幸せな気分を演出してくれる。
チョコを食べると、なんか、笑顔になれる気がしますからね。
スイーツってステキだなって思います。人を笑顔にさせられるんですから。。。


、、、と、相手もいないひとりぼっちなぼくは思います。。。

まぁ、そんな気分は、今回のイラストには反映できてませんけどね。(笑)
気持ちです。しかも後付けの。(笑)

よければ、どーぞ。
壁紙とともに、なんでもない毎日をともにすごす誰かへのチョコのプレゼントも添えて。(笑)



まぁ、そうは言っても、
いいかげん、ひとりぼっちも辛いですけどね。。。
まぁ、こんなぼくなんで、相手もいないですけどね。
たぶん、ぼくの相手なんてしてたら、心身ともに疲れ果てちゃいますからね。。

人と関わるのが苦手で、話すのも苦手。
友達も少なく、ほとんど関わらない。

がんばれっと言われても、がんばれない。どうすればいいのかもわからない。
人と関わろうとすれば、苦しいし、辛い。
そういうものなんだから我慢しろ、適応しろと言われても、耐えられないのだから仕方ない。
でも、人と関わりたいし、関わってほしいと思ってしまう、わがまま。
ダメな人間ですね。。。

もはや、人を好きになることさえも、恐れを感じる。
迷惑だろう、嫌われるだろう、嫌だろう、ダメにさせてしまうだろう、などなど。
なんだか、好きという感情さえも、形を失って、
なんなのか、わからない状況ですね。。。
誰を好きなのか、誰を好きだったのか、誰が好きなのか、
ふわふわして、あちこちにふらふらしている。

なんか、こんな感情さえ、持ってなければいいのになって思う。
どうせ、なんなのかわからないし、結局、捨てなきゃいけないことなんだから。

人を好きになっても、結局、血の気が引くようなイヤな気分しか残らないですし。。。
周りの人みたいに、人を好きになって好かれたりという定番な感じがないですし、
それが理解できない。

好きな人なんていないし、または、好きな人なんて全員でしかない。
愛する人なんていないし、または、愛する人なんて全員でしかない。

よくわからないんですよね。。。
正直なところ、かわいくて、ぼくの相手をしてくれる人なら、誰でもいいですし。。
なんか、そんな程度の感情だったら、持っている意味もないと思うので、
イヤな感じです。。。

なんで、人間、動物に生まれてしまったんだと思う。
そうでなければ、こんな、どうでもいいことに悩まなくて苦しめられなくてすんだのにね。。。


星の王子さまが言う言葉は、
どれも、まともな人間たちにとって意味あることで、
まともじゃない、ぼくには、何の意味もない。

「かんじんなことは、目に見えないんだよ。」

そんなこと言われても、そんなことは知っているし、
目に見えないから、苦しいんだよ。辛いんだよ。苦しめるんだよ。
それに、かんじんなことが目に見えずに直接感じてしまうから、
ぼくを苦しめて、傷つけて、虚しさを与えてくる。

ぼくの苦しさなんて、誰もわからない。
だって、目に見えないんだから。


君のバラがたいせつだと思う。
えぇ、バラがあればね。。。

育てるバラもなければ、
ぼくの星は砂漠のまま。
井戸も隠してもない。ただの砂漠。

砂漠に咲いてくれるバラを待っても、
いつまで経っても、そんなの来やしない。
だからと言って、バラを探して、ほしいバラを見つけても、
ぼくの砂漠に植えれば枯れてしまうのは明白だ。
たとえ、水をあげ、傘をたて、虫がつかないようにして枯れずにいても、
きっとバラは砂漠で一輪で咲いても楽しくもなく、濁った花を咲かせるだけ。
きっとぼくもそんなバラには魅力は感じなくなると思う。
砂漠に一人や二人でいる寂しさや辛さはぼくだって知っている。
だから、そんな思いを好きなバラにしてほしくはない。
バラは一番環境のいいところで、いつもキレイに咲いていてほしい。
ぼくが訪れたときにキレイに咲いててくれればうれしい。
つんだりしないから。ぼくをさけないでほしい。
ぼくは砂漠で一人で星を見るんだ。いろんな星でキレイに咲くバラがあるから。
それが見れれば、ぼくは幸せだと思う。
自分の砂漠にもバラがほしいと思ってしまい、
砂漠の砂を掴んで、手を広げ風に飛ばされる砂を見送り、砂が星空へと消えていく。

きっと、ぼくの砂漠に何かの拍子でバラがさけば、
ぼくは大事に育てると思う。すごく大事に。大事に。
そして、しおれて枯れてしまうと思う。

だから、ぼくは星空を見る。
遠く、手の届かない、どこかの星に咲くバラたちに想いをよせながら。

きっと、いずれ夜は明け、星はなくなる。
そして、日が昇りぼくは太陽に焼かれ砂漠の中に埋もれる。
最期に太陽に咲くバラを見つけて笑いながら。。


そんなことに想いを寄せながら、
寒い砂漠の中で体育座りして星空を見てます。
いっそ、寒さで死んじゃえばいいのにって思いながら。。。

そんな、毎日と呼ばれる星空の夜を淡々とすごしてます。
星がキレイだなって思いながら、ただ、淡々と。

星空がキレイじゃなかったら、きっとぼくは苦しくなかったんだろう。
星空がなければ、きっとぼくは自由だったんだろう。
星が空から、ぼくに向けて向かっている針のよう。ぼくが飛び立つのを妨げる。

でも、この星空がなければ、ぼくはきっと寂しくて辛いんだろう。
なんだか、哀しいばかり。
ぼくを苦しめるものが、ぼくに救いを与えてくれるものでもある。
そのことこそが、一番ぼくを苦しめることなのかもしれない。


まぁ。そんな感じです。
最近、ぼくが生きている意味を感じない。